俺はできるだけゆっくり、壁際へ手を伸ばした。黒猫を抱きしめる。
「きーさん。帰る前に一つだけ、教えてください」
俺は最後にどうしても、聞いておきたいことがある。
単刀直入に、尋ねてみた。
「『希望』って、なんですか?」
「え?」
「以前、布団の中で話してくれましたよね。『希望』を見せてもらってるって。俺でも、きーさんに与えられる、それはなんですか?」
「秘密」
彼は、はにかむとコタツを出て、俺の傍へしゃがみ込んだ。
「けど、もう会わないから……言ってもいいか」
優しい手つきで、シロを奪われた。
すぐ近くに、きーさんのほぐれた顔がある。
期待で胸が、ドキドキしていた。
要するに俺は、褒められたかったのだ。
周りから否定されるだけが、自分じゃないと思わせてほしかった。きーさんの温かな声で、俺のこれからを後押ししてほしかった。
そうすればもう会えなくても、きっと我慢していける。
「俺にとって森君は、特別な人になる気がしたんだ」
「特別な人、ですか?」
「ずっと傍にいたいって思える、家族みたいな存在、かな」
きーさんはシロへ、視線を落とした。黒い両耳を摘まんで、軽く引っ張る。
「出会ったばかりの俺を、どうして? 浮気の心配をしなくて、いいからですか?」
「うーん。なんていうか、君といると息苦しさを感じないんだ。俺の見た目から勝手なイメージを、作ったり押しつけてこないだろ? それでかな。あ、あと。きーさんだから、ほっとけないって言って食事を作ってくれたとき、凄く嬉しかった」
無邪気な笑顔を見ていたら、胸が締めつけられそうになった。
「なんで」
勝手に、言葉がこぼれた。
「こんな気持ちになったの、森君が初めてだよ」
「なんで」
また、言葉がこぼれた。
「あ、違うか。シロといるときも、似たような感覚になる」
「なんで」
「ぬいぐるみと一緒にするなんて、失礼か」
「なんで」
言葉の続きを、どう見つければいいのか分からない。
なんで、なんで、なんで。
もどかしくなりながら、口を開く。
「なんで」
同じ言葉ばかり、こぼれる。
「森君を思い浮かべるだけで、俺は幸せな気持ちになれた。結構、大きな存在だったんだよ。傍にいたら駄目だって気づいたときは、君を嫌いになる方法がないか、本気で悩んだんだ」
頭の中が、真っ白になる。
気づけば、彼の腕を掴んでいた。
「ごめん。余計な話まで、したかな?」
「きーさんは、馬鹿です」
「ばっ……!?」
もう、『なんで』の先にある言葉を考える余裕は、なくなっていた。