40話 敵わない大人③

「人ごとみたいな顔、するなって」

「はあ」

 コップへ手を伸ばした。コーラと一緒に、氷を口に含む。

「うまく言えないけど、なんかお前ら、二人でいると『特別』な感じがした」

「いろんな意味で、『特殊』でしたからね」

 

 俺は氷を、舌に乗せて転がした。

 きーさんと過ごした日々を、振り返ってみる。

 普通とは、ほど遠い毎日だった。唯一、模範的なカップルとしていられたのは、別れ際だけだったかもしれない。

 

うらやましかったよ。知り合ってまだ日が浅いのに、きちんと信頼関係できてるのが、こっちまで伝わってきてさ」

「まともな付き合い方じゃ、ありませんでしたけど」

「それでも俺は、羨ましかった」

「はあ」

 普通じゃなくても羨ましいって、なんだろう。頭が、こんがらがってくる。

「俺とじゃあ、スキンシップもままならないのに、ですか?」

「お互いの妥協点を見つければ、いいだけだろ」

 

 『きーさんの柔らかい唇の感触が、好きです』。

 

 脳裏に、あの台詞がよみがえってきた。

 氷に歯を立て、思いきり砕く。

「簡単に言いますね。実際付き合ったら、きっと、もどかしくなりますよ」

「恋人同士なのに、気持ちが一方通行って方が、よっぽど辛いけどな」

 相良さんのすぼませた目には、哀れみの色が浮かんでいる。

 

 ああ、そうか。

 

 俺は氷を飲み込むと同時に、理解した。

 彼はただ、片想いするきーさんに、同情していただけなのだ。

 俺みたいな奴と付き合うのを、変に思っていたわけじゃない。

 

 肩から力が、抜けていった。背もたれに身を預ける。

 向かいでは相良さんが、ミルクの入った容器を掴んでいた。コーヒーに注ぎ始める。

「えっ、どうして!?」

 叫ぶと、彼は意地悪く笑った。円を描くようにしながら、スプーンを軽やかに動かす。明るい色がカップの中、広がっていった。

 

「ブラックしか楽しまないなんて、損だろ?」

 相良さんは、すするなり「うん、美味い」と呟く。

 これじゃあ、好きでもないブラックコーヒーばかり、こだわって飲み続けてきた自分が馬鹿みたいだ。

 勢いよく、コーラを呷った。

 

 完敗だった。

 横内が相良さんを選んだことに、頷けた。きーさんが相良さんを選んだことにも、頷けた。

 恋愛感情や性的魅力なんて関係なく、俺はもっと根本的な部分で、相良さんに劣っている。

 

 ずっと、ないものねだりを、していたのだ。結果が出なければ、『自分は普通と違うから』と言い聞かせて。地団駄、踏んで。

 それだけだった。

 きーさんとの件だって、同じだ。避けられる理由を決めつけ、尋ねようとさえ、しなかった。

 否定的な自分への評価は、『どうにもならない事実』に関してだけで、充分だったのだ。

 

 俺は人との違いにばかり、目を向けていつも、ただ逃げていた。

 

「……やっぱり、もう一度きーさんに会ってみます」

「マジか!」

 

 勢いよく、相良さんが立ち上がった。周囲から、一斉に注目を浴びる。

「二週間ほど、時間をください」

 気にせず話を続けると、彼は真顔で腰を下ろした。

 皆の視線が散っていく。

 

「随分、長いな」

「ただ連絡を取ったって、相手にしてもらえるとは思えません」

「一緒に奇襲かけるか?」

「もっと簡単で、確実な方法があります」

 それに俺は、自分だけの力でなんとかしたかった。

 

「結果的に別れましたけど、きーさんを大切に思う気持ちは、今だってあなたに負けませんよ」

 自信たっぷりの笑顔を作ると、相良さんはカップを掴もうとする手の動きを止めた。

 それから

「桐本さんがなんで特別、森君を大事に思うのか、分かってきた気がする」

 と頬を緩め、ミルクたっぷりのコーヒーをすすった。