「森君、合鍵返して」
急に言葉から、温度が消えた。初めて聞く、冷たい声だった。
「きーさん?」
「恋人でもない赤の他人が普通、合鍵なんて持たないだろ」
他人。普通。
一つ一つの単語が、重く胸にのしかかってくる。
また、なにかが、おかしい。
「もう夕飯作りに来たら、駄目ですか?」
「うん」
「絶対?」
「絶対」
迷いのない顔を向けられたら、鍵を渡さないわけには、いかなかった。
まごつきつつ、鞄を引き寄せる。
サイドポケットから出すと、伸びてくる彼の手のひらに乗せた。
青い鈴が、チリンと鳴る。
「きーさん、さっきから変ですよ?」
「森君。俺の呼び方、戻して」
「なんでいきなり、よそよそしくなるんですか?」
「別れたんだから、もう仲よくする意味ないだろ?」
「意味って……」
わけが分からなくなる。
だって変だ。さっきまで、笑い合っていたのに。
いつか俺に対して恋愛感情がなくなったら、態度が変わるかもしれない、とは思った。
相良さんを相手にするときみたく、余計な気を遣わなくなるかなあ、とか。距離を置かれる可能性だって、想像はしてた。
けど、いくらなんでも急すぎだろ。
マグカップを、掴んでいた。考えを整理しようと、コーヒーを呷る。
――きーさんにとって、俺は、彼氏じゃなければ、価値がなかったんだ。
気づいた途端、激しくむせた。喉が引きつる。
「ごめん、森君。帰ってもらえるかな」
「……はい」
目を、合わせられなかった。
鞄を拾い上げる。空になったマグカップを持って、キッチンへ行く。
磨かれたシンクに、自分の姿が映った。
相良さんとは外見も中身も、まるで違う。恋さえできない、ちっぽけな高校生の俺がいる。
自然と唇が歪んだ。
蛇口をひねり、洗い物だけして玄関へ向かった。
足は、やたらと重い。
下駄箱の上には、シロが立っていた。瞳孔の開ききった目と、目が合う。寒い、と呟く声を聞いた気がした。
俺はそっと視線をそらし、玄関の扉を開く。
「お邪魔、しました」