「いつも、ありがとう。陸君」
「はあ……。俺はあなたの、小言にも感謝できるところが、好きですよ」
「あはは、ありがとう」
「本当に、まったく」
俺は頬を緩ませると、コーヒーで喉を潤した。苦くて、苦くて、そして温かい。
「俺の恋人が、陸君でよかった」
ニコニコしながら、きーさんは口にする。
自分もです。
心の中で、呟いた。
「毎日が楽しく感じられるようになったのは、君のお陰だ」
「役に立ててますか、俺?」
きーさんは、きっとまた俺の求める言葉を届けてくれる。
期待して、シンプルな返事を待った。
「勿論。……好きだよ、陸君」
目を細め、まっすぐ見つめてくる。
すぐに気づいた。
なにかが、おかしい。
「恋愛的な意味で、好きだ」
その一言は、俺の心を揺らすには、十分すぎた。
慌てて、コーヒーを飲む。なんの味も、感じなかった。
「相良さんを、諦められるんですか?」
いいや、と否定してくれるのを期待した。けれど、きーさんは「うん」と頷く。
「横内のことも?」
やっぱり、きーさんは「うん」と頷いた。
全然、嬉しくなかった。
「俺には、陸君がいる」
あどけない笑顔に、嫌な予感を覚える。
「きーさん……」
どうして俺を、好きになったりしたんですか。
黙っていると、胸が苦しくなってきた。うつむいてしまう。
「陸君が、誰にも恋をしないのは分かってる」
「横内には、するかもしれません」
「今更?」
いつになく強い口調の、質問だった。
恋の味を、知られたくないみたいだった。
『……なんていうか。陸君とは、気を張らずに付き合えそうだよ』。
彼が以前、浮気のルールを決めるとき、漏らした言葉を思い出す。
まさか。いや、でも。
不安を振り払うようにして顔を上げると、ごめん、と謝られた。
「感じの悪い、言い方だったね」
「いえ、大丈夫です」
俺はマグカップへ、視線を落とした。暗い色の液体が、まだ半分以上残っている。
「気に障ったらごめんね。正直に話すんだけど、俺は陸君が性的魅力を感じる人じゃなくて、よかったと思ってる」
突然、目の前が真っ暗になった。
彼はただ、『絶対的に、浮気の心配をしなくていい人』を、『好きと思い込みたいだけ』なのかもしれない――。
なんだか、怖くなる。
俺相手なら、きーさんは元彼のときのように、傷つくことはないだろう。不安にならず、いられる。
きーさんは、楽な道へ逃げるようになってしまったんじゃないだろうか。
恋愛のできない俺が、彼氏になったせいで。
「やっぱり、男に恋愛対象として見られるのは、気持ち悪い?」
「ショックでした。けど問題は、性別じゃありません」
「横内君の知り合いだから?」
「いいえ。きーさんだからです」
はっきり伝えると、視線をそらされた。
「告白したのを、後悔はしてないよ。嫌われるのも、覚悟の上だ」
「俺は今でも人として、あなたを好いてます」
「……恋人関係を、解消したくならないの?」
「それは……」
横内への未練を断ち切ったあとも、ずっと、付き合い続けていきたかった。終わりは、きーさんが決めるものだと思っていた。
でも。
急に黙った俺を、優しく見守る瞳がある。
彼の、役に立ちたかった。
「別れましょうか」
恋人という肩書きを、外す。
たったそれだけのことなのに、声が震えた。
「うん。分かった」
彼の瞳に、光が佇んだ。
「今までありがとう」
「俺の方こそ。これからは――」
これからは友人として、変わらない付き合いを続けましょう、と言いたかった。
けれど、話を遮られてしまう。
「ありがとう、陸君。君のポジティブなところ、好きだったよ。ぬいぐるみが似合うところも。寝顔も――」
「きーさん?」
彼の瞳に佇む、光の色が気になった。
諦めや無関心とも違う。この色は、なんだ。
「料理上手なところも。コーヒーに対する、リアクションも。謙遜しないところも。君の全部が、好きだった」
「きーさん? そんな大雑把な伝え方したら、明日から一日一回言うこと――」
「なくなるね」
まっすぐ、見つめられた。
ああ、そうか。
俺は理解した。
彼の瞳に浮かんでいる感情は。
安堵だ。