「……もう、遅いって」
急にヤカンが、かん高く鳴きだす。
慌てて体を離し、火を止めた。
「俺は、陸君が好きだよ」
「どこがいいと、思いましたか?」
きーさんに、視線を戻した。顔をそらされる。
沈黙が流れた。
しばらくして、彼は呟く。
「……今まで好きになった、どの人とも違うところが好きだ」
続けて知らない男性の名前を、口にし始めた。彼の、恋の歴史なのだろう。一音一音大切にしながら、声に出しているのが分かる。ときどき喉を震わせるのは、『苦手な人』との過去が、脳裏をよぎるからだろうか。
黙って耳を傾けていると、相良さんが登場する。
それから最後、俺にとって特別なアイツの名前も、出た。
すぐに理解できなかった。
「俺は、横内君を好きだった時期もあるんだ」
彼の、唇の端が歪んだ。
俺はなんと言っていいか分からず、ただ立ち尽くす。
「お茶にしよう、陸君」
きーさんは、ヤカンの取っ手を掴んだ。リビングへ行ってしまう。
あとを追いかけた。コタツの上に置かれた二つのマグカップから、湯気が上っている。
彼はヤカンをキッチンへ戻すと、席に着いた。向かいへ、俺も腰を下ろす。
「驚いたよね?」
先に口を開いたのは、きーさんだった。
「俺、あなたが相良さんに振られたことなら、知ってました。横内に悔しい顔一つしないなんて、大人だなって思ってたんです」
「陸君は、すぐ感情が表に出るからね。あのコーヒー対決は、面白かったよ」
きーさんは笑いながら、ティーバッグを湯の中へ沈めた。
「……情けないところ、お見せしました」
顔が熱くなるのを、感じた。スプーンを握る。マグカップの中をぐるぐる、ぐるぐる、かき回す。
「今でこそ落ち着いたけど、俺も少し前は、かなり荒んでたんだ。職場の後輩に告白すれば、ゲイなのを隠されたまま振られて、ヤケ酒。あとから、男子高校生と付き合いだしたと聞かされれば、食欲不振」
喋りつつ、きーさんはティーバッグを上下に振った。小皿へ移す。
手元には、スティックシュガーが六本、用意されている。
「運悪く、その男子高校生っていうのは、俺が少し気になり始めていた子で――」
細い紙の袋が、破かれる。砂糖は勢いよく、マグカップの中へ流れていった。
俺は無言で、まだ未開封のスティックシュガーを集めると、服のポケットへしまった。
「聞いてる? 陸君」
「はい。ところで砂糖、入れすぎです」
「二本だけじゃ、全然足りないよ。返して」
「で? 気になる男子高校生が、どうしたんですか?」
「砂糖……」
伸びてくる腕を無視して、俺はマグカップに口をつけた。
「うへえ」
天井を見上げる。
「砂糖……」
しばらく物欲しげな視線に、責められ続けた。
静かに、ときが過ぎていく。
「……その高校生にね」
ようやく諦める気になったのか、きーさんはコタツの中へ、両手をしまった。
「中一の頃からずっと好きだったって、言われてたんだ。年の差は気にかかったけど、彼みたいに純粋な子と付き合ったら、俺も変われるかもって思った。……その数日後だよ。二人が、カップルになったのは。食欲戻るまで、随分かかったなあ」
「あー。えーっと、それは……ごめんなさい」
思わず、頭を下げていた。
「アイツ一時期、憧れと好きって気持ちを混同させてて……。悪気は絶対、ないはずなんです」
変な汗が、流れだす。
最悪だ。まさか横内が、きーさんに告白していたなんて。
申し訳なさすぎて、顔を上げられなかった。
「もう、いいんだ。本人からも聞いてる」
「だとしたって、本当にごめんなさい」
コタツに額を、擦りつけた。没収したばかりのスティックシュガーを四本全て、お詫びの品代わりに、両手で差し出す。
「なんで陸君が、謝るの?」
受け取りながら、きーさんは尋ねてきた。
「横内の、世話係なので」
軽快な笑い声が、耳をくすぐった。
顔を上げると、彼は砂糖の詰まった袋を破いていた。植物の水やりでもするように、勢いよく紅茶へ注いでいく。
「体、壊しますよ」
「五本にしておこう」
「我慢が足りません」
「厳しいな」
きーさんはスティックシュガーを一本だけ、開封せずに残すと、紅茶を啜った。