26話 嘘

 帰りは雨の中、三人で歩いた。

 見送りについて来るきーさんを、相良さんはイジりだす。

 

「いくら暗がりだからって、他人の彼氏に手ぇ出したりしませんよ。桐本さんじゃ、あるまいし」

 隣から「うっ」と、小さな呻き声があがった。黒い傘が影になり、表情はよく見えない。

「まあ、アイツとキスしたといっても? 俺と付き合う前の話ですから? 責めるつもりは、ないですけど?」

「遠回しに、チクチクくるなあ……」

「いや、分かりますよ。俺だって、かわいい高校生から『慰めたい』なんて言われたら、理性吹き飛ぶでしょうし?」

「悪かったって! 謝るから、詳細語るのはやめてくれ! 恥ずかしいだろ!」

「また森君の料理、食わせてもらえます?」

「……少しなら」

「よっし!」

 許可が出た途端、彼は声を弾ませ始めた。饒舌になって、ケラケラと笑ったりもする。

 俺は二人のやり取りを、聞くともなく聞いていた。

 相良さんは脇道を指さす。

「じゃあ俺の家、こっちなんで」

「また明日な」

「さよなら」

「料理、ご馳走さん」

 

 

 きーさんと二人きりになった。

 会話もないまま、ただ歩く。両脇に畑が見えてきた。彼は、さりげなく車道側へ移動する。

 どこにも人の姿はない。疾走する車を、目で追いかける。

 俺は、相良さんの哀れむような眼差しを、思い出していた。

 足が、重かった。

 

「陸君?」

 きーさんが振り返る。

 気づけば俺は、立ち止まっていた。

 ごめんなさい、と言おうとして口を開いたはずなのに

「俺って、やっぱり変ですよね」

 と、言葉がこぼれた。

 

 辺りは暗くて、きーさんの顔は、はっきりしない。だから、話すのをやめられなかった。

「どれだけ勉強が苦手な人でも、恋愛できるし、誰かに性的な魅力を感じる……。なのに俺だけ皆と違うのは、どこかが壊れているからでしょうか?」

 

 傘の柄を、強く握りしめていた。

 自分の面倒な部分を、さらけ出してしまっている。申し訳なくて、情けなかった。

 

「変かどうかなんて、他人に決められるものじゃないよ」

 近づいてくる彼の顔に、電灯の光があたる。

 現れたのは目尻の下がった、いつもの優しい表情。

 視界が、歪みそうになった。

「だけど俺がまともだったら、きーさんだって周りから不憫な目で見られたり、しなかったのに」

 俺は知らなかった。

 自分と付き合うと恋人まで、変わり者扱いされるということを。

 

「陸君。俺は、君の全部が好きなんだ」

 雨音に混じって、落ち着いた声が降ってくる。

 熱い視線を、向けられた。

「駄目ですよ、そんな大雑把な伝え方したら。明日から一日一回言うこと、なくなります」

「それは、困るな」

 彼は笑みを浮かべると、身を寄せてきた。傘のシャフトは、車道側へ傾く。

 俺たちの顔が、周囲から隠れた。

「きーさ……」

 

 呼ぶ途中、唇が、唇と重なった。

 離れてすぐ、理解する。

 

 ああ。今のはキスだ。

 

 あまりにも突然だった。嫌悪感が湧く暇さえ、なかった。

 口を半開きにしたまま、体を硬直させていた。

 耳元で、雨が騒がしい。

 

「り、陸君? ごめん、大丈夫?」

 返事の代わりにぎこちなく、一度だけ頷いた。

「ごめん。本当に、ごめん! 配慮に欠けてた! もう、絶対しないから!」

 ゆっくりと、頭が働き始める。

 そりゃあ、そうだよなと思った。

 彼は横内にだって、キスをしたのだ。恋人だったら尚更、したくなるよな。

 きーさんは、目の前で謝り続けている。なにも間違った行動なんか、とってないのに。

 

 ――できの悪い彼氏で、ごめんなさい。

 

 俺は罪悪感でいっぱいになりながら、嘘をついた。

「きーさんの柔らかい唇の感触が、好きです。だからいつでも、してください」

「……ありがとう」

 

 彼の瞳が、輝いた。幼さの残る、俺の大好きな笑みを浮かべている。

 

 世の中のカップルが、当たり前のようにキスする理由を、俺は理解できない。だけど、きーさんが喜ぶなら耐えてみようと覚悟を決めた。

 

 大きく深呼吸をしてみる。

 

 現れた白い息は、降る雨の勢いに抗いながら、空へと上っていった。