帰りは雨の中、三人で歩いた。
見送りについて来るきーさんを、相良さんはイジりだす。
「いくら暗がりだからって、他人の彼氏に手ぇ出したりしませんよ。桐本さんじゃ、あるまいし」
隣から「うっ」と、小さな呻き声があがった。黒い傘が影になり、表情はよく見えない。
「まあ、アイツとキスしたといっても? 俺と付き合う前の話ですから? 責めるつもりは、ないですけど?」
「遠回しに、チクチクくるなあ……」
「いや、分かりますよ。俺だって、かわいい高校生から『慰めたい』なんて言われたら、理性吹き飛ぶでしょうし?」
「悪かったって! 謝るから、詳細語るのはやめてくれ! 恥ずかしいだろ!」
「また森君の料理、食わせてもらえます?」
「……少しなら」
「よっし!」
許可が出た途端、彼は声を弾ませ始めた。饒舌になって、ケラケラと笑ったりもする。
俺は二人のやり取りを、聞くともなく聞いていた。
相良さんは脇道を指さす。
「じゃあ俺の家、こっちなんで」
「また明日な」
「さよなら」
「料理、ご馳走さん」
きーさんと二人きりになった。
会話もないまま、ただ歩く。両脇に畑が見えてきた。彼は、さりげなく車道側へ移動する。
どこにも人の姿はない。疾走する車を、目で追いかける。
俺は、相良さんの哀れむような眼差しを、思い出していた。
足が、重かった。
「陸君?」
きーさんが振り返る。
気づけば俺は、立ち止まっていた。
ごめんなさい、と言おうとして口を開いたはずなのに
「俺って、やっぱり変ですよね」
と、言葉がこぼれた。
辺りは暗くて、きーさんの顔は、はっきりしない。だから、話すのをやめられなかった。
「どれだけ勉強が苦手な人でも、恋愛できるし、誰かに性的な魅力を感じる……。なのに俺だけ皆と違うのは、どこかが壊れているからでしょうか?」
傘の柄を、強く握りしめていた。
自分の面倒な部分を、さらけ出してしまっている。申し訳なくて、情けなかった。
「変かどうかなんて、他人に決められるものじゃないよ」
近づいてくる彼の顔に、電灯の光があたる。
現れたのは目尻の下がった、いつもの優しい表情。
視界が、歪みそうになった。
「だけど俺がまともだったら、きーさんだって周りから不憫な目で見られたり、しなかったのに」
俺は知らなかった。
自分と付き合うと恋人まで、変わり者扱いされるということを。
「陸君。俺は、君の全部が好きなんだ」
雨音に混じって、落ち着いた声が降ってくる。
熱い視線を、向けられた。
「駄目ですよ、そんな大雑把な伝え方したら。明日から一日一回言うこと、なくなります」
「それは、困るな」
彼は笑みを浮かべると、身を寄せてきた。傘のシャフトは、車道側へ傾く。
俺たちの顔が、周囲から隠れた。
「きーさ……」
呼ぶ途中、唇が、唇と重なった。
離れてすぐ、理解する。
ああ。今のはキスだ。
あまりにも突然だった。嫌悪感が湧く暇さえ、なかった。
口を半開きにしたまま、体を硬直させていた。
耳元で、雨が騒がしい。
「り、陸君? ごめん、大丈夫?」
返事の代わりにぎこちなく、一度だけ頷いた。
「ごめん。本当に、ごめん! 配慮に欠けてた! もう、絶対しないから!」
ゆっくりと、頭が働き始める。
そりゃあ、そうだよなと思った。
彼は横内にだって、キスをしたのだ。恋人だったら尚更、したくなるよな。
きーさんは、目の前で謝り続けている。なにも間違った行動なんか、とってないのに。
――できの悪い彼氏で、ごめんなさい。
俺は罪悪感でいっぱいになりながら、嘘をついた。
「きーさんの柔らかい唇の感触が、好きです。だからいつでも、してください」
「……ありがとう」
彼の瞳が、輝いた。幼さの残る、俺の大好きな笑みを浮かべている。
世の中のカップルが、当たり前のようにキスする理由を、俺は理解できない。だけど、きーさんが喜ぶなら耐えてみようと覚悟を決めた。
大きく深呼吸をしてみる。
現れた白い息は、降る雨の勢いに抗いながら、空へと上っていった。