体の力が、抜ける。
はあ。なんで相良さんまで、来るかなあ。
洗面所の方から、水の流れる音がする。
右隣に、きーさんが立った。
「手洗いうがい、しました?」
「うん」
「じゃあ、はい」
シチューを小皿に装い、味見してもらう。
「最高」
聞き慣れた感想が、返ってきた。
視線を合わせ、お互い頬を緩める。
左隣に相良さんが現れた。
「俺にも、一口」
「……どうぞ」
顔を見るだけで、腹が立ってくる。俺は勢いよく、皿を突きつけた。
受け取ると相良さんは、なんの警戒心もなく料理を口に運ぶ。その態度はまるで、俺をライバル視していた過去を、忘れてしまったみたいだ。
「え、美味っ」
彼は、声をあげたと思ったら次の瞬間には、おかわりを要求してきた。
大人の対応、大人の対応。
俺は自分に言い聞かせながら、シチューを多めに皿へ盛りつけてやる。
横内への未練を断ち切りたかったら、きっと相良さんを意識すべきじゃない。そのためには、きーさんみたいな心の余裕が必要なのだ。
「優しい味だよな」
「市販のルウを、使ってませんので」
「マジか!? お前、すげーな!」
「どうも」
俺は、ただ母のレシピ通り作っただけだ。でも褒められると、悪い気はしない。顔がニヤつきそうになるのを、どうにか我慢する。
きーさんが、間に割って入ってきた。
「食べさせてやっただろ。宏介はもう、帰れよ」
「え。ちょっと、啜っただけじゃないですか」
大人の対応、大人の対応。
俺はゆっくり、口を開いた。
「あの。沢山あるんで、相良さんも一緒に夕飯どうですか?」
「ほら。森君も、言ってくれてますし。ね?」
「……はあ」
項垂れる恋人を横目に、俺はコンロの火を止めた。
シチューは三人、コタツに入って食べた。
噛むほど口の中で、鶏肉と野菜のうまみが広がっていく。でも、おかしい。忠実に真似たはずなのに、母の味には遠かった。
コクが足りないのか、それとも――。
分析していると、相良さんが脇から話しかけてきた。
「なんで俺が、わざわざ桐本さんの家まで押しかけてきたか、分かるか?」
「さあ?」
「森君の料理の腕前を、確かめるためだ」
「はあ」
「桐本さん、暇さえあれば俺に自慢してくるんだよ」
「へえ」
意外だった。
他人事のような気持ちで相槌を打つと、きーさんが向かいから身を乗り出してきた。
「り、陸君。宏介の話、本気にしなくていいから!」
「隠す必要なんて、ないじゃないですか。恋人ができて浮かれるのは、誰だって一緒でしょ?」
「う、浮かれてるつもりは――」
「それに、これだけ料理が美味かったら、人に言いたくなる気持ちも分かります。というわけで、桐本さん、また家に寄らせてください」
「目当ては、陸君の用意する夕飯か」
「勿論」
「絶対、来るな。食い尽くされる」
「大丈夫ですって。桐本さん、小食だし」
「そういう問題と、違う!」
二人の会話は、テンポがよくて遠慮もない。気心知れた仲、という感じだった。
ふーん。好きな人に振られたあとも続く友情って、あるのか。
スプーンを口に運びながら、ぼんやり思う。
もし別れたら、俺ときーさんはどんな関係になるだろう。恋愛感情が絡まない分、いくつもの可能性が考えられた。