帰りは、駅まで送ってもらった。交通費を出そうとするので、通学定期券の区間内なのを理由に断る。
なんだか、きーさんには気を遣わせてばかりだ。仕事で疲れているのに、申し訳ない。これからは彼が帰宅する前に、料理を終わらせて家を出よう。
自宅へ戻ると、家族五人で食卓を囲んだ。食事の最初と最後には手を合わせ、皆揃って「いただきます」「ご馳走様でした」と口にする。空になった皿は、シンクへ戻した。
リビングのソファーに腰かけ、携帯をいじる。
メッセージを送った。
『伝え忘れました。今日、出会い頭のきーさん、じゃれつく犬みたいで、かわいかったです』
返事を待つ間、隣に座る兄を眺めた。二つ年上で、恰幅がいい。
兄は五分ほど前から、ミカンを食べ続けている。もう三個目だろうか。最後の一房を口に放り込むと、急にむせ始めた。向かいでテレビを観ていた妹が、「だから太るんだよ」と呆れた声を出す。
うるさいなあとか、モテないよとか、いつものやり取りが聞こえてきた。
うちは今日も、騒がしい。本来受験生であるはずの妹が、だらけきっているからだろう。私立でエスカレーター式の学校というのも、考えものかもしれない。
不意に、携帯が震える。きーさんから、メッセージが届いた。
『じゃあ今度、飛びついていい?』
すぐ返事を送る。
『シロに、どうぞ』
『残念! ところで豚の角煮、凄く美味しかった。本当に料理が上手だね。惚れ直しそう』
『直す以前に、惚れられた覚えもないですよ。笑』
反応が返ってくるまで、壁にかかったレプリカの絵を見つめていた。額の中の季節は、まだ秋だ。
横内の『付き合う意味、あるのか?』という言葉を思い出した。
携帯が鳴ったのは、数分経ってからだった。
『ご飯多めに作ってくれて、ありがとう。食べきれなかった分は、タッパーに詰めたよ』
『副菜も、三日くらいは持つはずです。明日は少なめに、作りますね』
近くで、兄や妹の声がする。異性の好感度を上げるためにはとか、脈ありかどうかの見極め方を議論していた。
視線を移せばテレビは、恋愛ドラマが流れている。一組のカップルは唇を重ね、結婚について喋りだした。CMになると、男女が互いの額をくっつけて微笑む。
思わず、ため息が漏れる。
リビングを離れた。洗い物をする母が、話しかけてくる。
「明後日なんだけど、お父さんの誕生日だからね。もし出かけるなら、早く帰ってきなさい」
「分かった。手伝いするよ」
うちでは毎年、家族の誕生日を皆で祝う。普段より豪華な食材を扱った料理を作れるので、俺にとっては貴重な機会だし、楽しみの一つになっていた。
足取りが、軽くなる。
キッチンを出て行こうとして、ふと疑問が湧いた。
「あのさ。母さんたちって、恋愛結婚だっけ?」
「なあに? 突然。お見合いだけど」
「ふーん」
母の、丸い顔に浮かんだえくぼは、俺を穏やかな気持ちにさせた。
「恋愛とかしなくても、恋人以上の関係を続ける秘訣ってあるの?」
「そうねー。私の場合、結婚してすぐお父さんを好きになったから、あんまり参考にならないかも」
「……ふーん」
急にまた、気分が沈んだ。
俺は今度こそ、キッチンを後にする。廊下で父とすれ違った。後退の目立ち始めた髪を揺らし、鼻歌を歌っている。
気づけば、さっきより大きなため息を吐いていた。
階段を上り、扉を開く。緑とも青とも断定し難い、見慣れた壁に囲まれた自室は、俺をホッとさせてくれる。
椅子へ座ると、携帯を確認してみた。きーさんから、またメッセージが届いている。
『明日も会えるのを、楽しみにしてるよ』
どうやら彼は手料理より、俺と顔を合わせることに重点を置いているみたいだ。一人暮らしは、なにかと寂しいのだろう。きーさんが戻ってくる前に、食事の支度だけして帰ったら落ち込むだろうか。
どうしようかなあ。
しばらく、返事に迷った。
携帯を握り直す。文字を、打ち込んでは消していった。
そうして、最終的に送った言葉は。
『俺も、楽しみです』