19話 きーさんのいる日常②

 帰りは、駅まで送ってもらった。交通費を出そうとするので、通学定期券の区間内なのを理由に断る。

 なんだか、きーさんには気を遣わせてばかりだ。仕事で疲れているのに、申し訳ない。これからは彼が帰宅する前に、料理を終わらせて家を出よう。

 

 自宅へ戻ると、家族五人で食卓を囲んだ。食事の最初と最後には手を合わせ、皆揃って「いただきます」「ご馳走様でした」と口にする。空になった皿は、シンクへ戻した。

 リビングのソファーに腰かけ、携帯をいじる。

 メッセージを送った。

『伝え忘れました。今日、出会い頭のきーさん、じゃれつく犬みたいで、かわいかったです』

 

 返事を待つ間、隣に座る兄を眺めた。二つ年上で、恰幅がいい。

 兄は五分ほど前から、ミカンを食べ続けている。もう三個目だろうか。最後の一房を口に放り込むと、急にむせ始めた。向かいでテレビを観ていた妹が、「だから太るんだよ」と呆れた声を出す。

 うるさいなあとか、モテないよとか、いつものやり取りが聞こえてきた。

 うちは今日も、騒がしい。本来受験生であるはずの妹が、だらけきっているからだろう。私立でエスカレーター式の学校というのも、考えものかもしれない。

 

 

 不意に、携帯が震える。きーさんから、メッセージが届いた。

『じゃあ今度、飛びついていい?』

 すぐ返事を送る。

『シロに、どうぞ』

『残念! ところで豚の角煮、凄く美味しかった。本当に料理が上手だね。惚れ直しそう』

『直す以前に、惚れられた覚えもないですよ。笑』

 

 反応が返ってくるまで、壁にかかったレプリカの絵を見つめていた。額の中の季節は、まだ秋だ。

 横内の『付き合う意味、あるのか?』という言葉を思い出した。

 

 

 携帯が鳴ったのは、数分経ってからだった。

『ご飯多めに作ってくれて、ありがとう。食べきれなかった分は、タッパーに詰めたよ』

『副菜も、三日くらいは持つはずです。明日は少なめに、作りますね』

 

 近くで、兄や妹の声がする。異性の好感度を上げるためにはとか、脈ありかどうかの見極め方を議論していた。

 視線を移せばテレビは、恋愛ドラマが流れている。一組のカップルは唇を重ね、結婚について喋りだした。CMになると、男女が互いの額をくっつけて微笑む。

 思わず、ため息が漏れる。

 

 リビングを離れた。洗い物をする母が、話しかけてくる。

明後日あさってなんだけど、お父さんの誕生日だからね。もし出かけるなら、早く帰ってきなさい」

「分かった。手伝いするよ」

 うちでは毎年、家族の誕生日を皆で祝う。普段より豪華な食材を扱った料理を作れるので、俺にとっては貴重な機会だし、楽しみの一つになっていた。

 足取りが、軽くなる。

 キッチンを出て行こうとして、ふと疑問が湧いた。

 

「あのさ。母さんたちって、恋愛結婚だっけ?」

「なあに? 突然。お見合いだけど」

「ふーん」

 母の、丸い顔に浮かんだえくぼは、俺を穏やかな気持ちにさせた。

「恋愛とかしなくても、恋人以上の関係を続ける秘訣ってあるの?」

「そうねー。私の場合、結婚してすぐお父さんを好きになったから、あんまり参考にならないかも」

「……ふーん」

 急にまた、気分が沈んだ。

 俺は今度こそ、キッチンを後にする。廊下で父とすれ違った。後退の目立ち始めた髪を揺らし、鼻歌を歌っている。

 気づけば、さっきより大きなため息を吐いていた。

 

 階段を上り、扉を開く。緑とも青とも断定し難い、見慣れた壁に囲まれた自室は、俺をホッとさせてくれる。

 椅子へ座ると、携帯を確認してみた。きーさんから、またメッセージが届いている。

『明日も会えるのを、楽しみにしてるよ』

 

 どうやら彼は手料理より、俺と顔を合わせることに重点を置いているみたいだ。一人暮らしは、なにかと寂しいのだろう。きーさんが戻ってくる前に、食事の支度だけして帰ったら落ち込むだろうか。

 

 どうしようかなあ。

 

 しばらく、返事に迷った。

 携帯を握り直す。文字を、打ち込んでは消していった。

 そうして、最終的に送った言葉は。

 

『俺も、楽しみです』