17話 続・二人と一匹、家の中。⑤

「高校を卒業したあとも、ずっとセックスを拒み続けたら、きーさんだってさすがに嫌気が差しますよね?」

 

「俺はさ、陸君」

 名前を呼ぶ口調は、穏やかだった。

 自然に、「はい」と返していた。薄く目を開き、言葉を待つ。

 

「君に今、とても救われているんだよ。多分ちっとも気づいてないだろうけど、いい年した大人に希望を見せてくれるんだ。それって、セックスにはできないんじゃないかな」

「救う? 俺が?」

「うん」

 一瞬、間が空いた。布団の、衣擦れの音が聞こえてくる。きーさんは体ごと、俺の方を向いたようだった。

 

「陸君は手を繋ぐのも、苦手?」

「いえ。大丈夫です」

 好きじゃあないけど、と付け足す暇はなかった。布団の中に、なにかが潜り込んでくる。手の甲と、ぶつかった。

 指を絡め取られる。

「あったかい」

「きーさんの手は、大きいですね」

 それに、驚くほど冷たかった。体温を吸い取られてしまいそうだ。

 けれど離したいとは、思わなかった。

 

「きーさん」

 静寂に包まれた部屋の中、声が響く。

「希望って、なんですか?」

「……秘密」

「俺、もっと、きーさんを救えるようになりたいです」

「君は君のまま、いてくれるだけでいいんだよ」

 

 段々、頭がぼんやりしてきた。まだ喋り足りない。なのに、意識が遠のいていく。

 目の前の景色が、赤に染まり始めた。自宅のリビングに飾られた、紅葉の絵が見える。横内と相良さんも、現れた。ゆらゆら、揺れている。

 夢の中へ、引きずり込まれる。

 

「おやすみ、陸君」

 俺は眠りにつく直前、優しい声を聞いたような気がした。

 

 

 

 そうして次に目を覚ますと、朝だった。

 部屋の中が明るい。シロはいつの間にか、壁際へ移動していた。

 きーさんは、あどけない表情で寝息をたてている。

 

 立ち上がろうとして、足を掴まれた。

「おはよ」

 トロンとした目が、俺を見上げる。

「きーさんのその顔、かわいいですね」

 思わず感想を口にすると、

「陸君の寝顔も、かわいかった」

 ニコリと微笑み、再び彼は瞼を閉じた。

 眠りに落ちたのだろう。まるで動かない。

 

 一日一回の日課は、終えてしまった。

 不思議だ。『かわいい』なんて言われるのも、案外悪くない気がする。

 

 できるだけ足音をたてないようにして、身支度を整えた。キッチンで携帯をいじりながら、時間を潰す。

 二時間ほど経っただろうか。十時すぎ、ようやくきーさんが起きてきた。冷蔵庫の前に座り込む俺を見て、「わっ!」と声をあげる。

 

「ごめん。寒かったでしょ?」

「気にしないでください。俺、隅っこ好きなんです」

 言いながら、両腕を伸ばしてみた。きーさんは目を丸くする。

 戸惑い気味に、手を掴んできた。引っ張って、俺を立ち上がらせてくれる。

 

「君は甘えるのも、うまいね」

「今日はもう、一日一回のノルマ、達成してますよ?」

 首を傾げて仰いだら、彼の唇は少しだけ歪んだ。