チャイムを鳴らすと、扉はすぐ開いた。グレーのニットを身につけた、きーさんが姿を現す。
彼は整った顔を驚きでいっぱいにしながら、まばたきを繰り返した。
「本当に来たんだ」
「お世話になります」
お辞儀をすると頭上から、柔らかな笑い声が降ってきた。
「まあ、上がってよ」
「お邪魔します!」
俺は脱いだスニーカーを、手早く揃えた。
シロと目が合う。尖った耳に、そっと触れてみた。
きーさんが、俺の頭を思いきり、撫で回し始める。
「髪が乱れるんですけど!」
「今日は、この家にずっといるんだろ?」
なら問題ないとばかりに、益々、わしゃわしゃされた。
「人の髪いじるのって、好きなんだよなあ」
「俺は、いじられるの苦手です!」
でも、きーさんの触れ方は、不思議と嫌じゃなかった。子供やペットをかわいがるときのような、愛情に似たものを感じるからかもしれない。
彼は両手を腰に当てると、目元を緩めた。
「陸君の髪は、サラサラだね。今度、カットさせてよ」
「えー」
不満を口にしつつ、洗面所を借りた。手を洗って、キッチンへ向かう。途中、黒猫とまた、目が合った。
寒い、と呟く声を聞いた気がした。
一緒に連れていくことにする。汚れ一つない、コンロや水回りの傍を通る。
リビングから、きーさんが戻ってきた。
「コタツの電気つけたから、どうぞ」
「ありがとうございます」
「陸君ってさ」
「え?」
足を踏み出したところで、呼び止められた。
「ぬいぐるみ、似合うね」
「女顔って意味ですか?」
眉をしかめると、慌てたように首を振ってみせてきた。
「『一日一回、恋人の好ましく感じるところを伝える』が、決まりだろう?」
「うー……」
そう返されてしまったら、文句は言えない。
「ゲイの人って、男っぽい顔立ちがタイプじゃないんですか?」
「いろいろかな。俺は拘りないけどね。陸君は肌が白くて華奢だから、庇護欲をかきたてられるよ。口さえ開かなければ、さ」
「ずっと、黙ってましょうか?」
「いや。それはそれで、つまらない」
笑みがこぼれ、きーさんの見た目の年齢が曖昧になる。嘘くさい面持ちもさることながら、少年っぽさの残る自然な笑顔も、悪くない。
そういえば去年、横内が言ってたっけ。『たまに浮かぶ、桐本さんのあどけない表情に、気持ちを恋と錯覚させられる』、とか。
うーん。錯覚ねえ。
「どうかした?」
「いえ」
きーさんから視線を外し、すぐに背を向けた。上着を脱いで、今度こそコタツへ入る。シロは、傍に置いた。
電気のじわっとした熱と、カーテン越しの柔らかな日差しが心地いい。
コタツに顎を乗せ、瞼を閉じる。遠くで、きーさんの気配がした。
俺は思う。
彼は、かっこいい。背が高いし、顔も整っている。モデルでいそうな、雰囲気だ。
けれど性的なものは、なにも感じなかった。動物園でライオンやオオカミを見かけたときに抱く気持ちと、似ているかもしれない。どうすれば恋愛感情と間違うのか、理解に苦しむ。
足音が近づいてきた。きーさんは丸めておいたコートを、ハンガーに吊してくれた。
「陸君、お昼は?」
尋ねながら、彼は向かいに腰を下ろす。
「食べました。きーさんは?」
「んー、まだ。でも俺だけなら、用意しなくていいかな」
「朝、遅かったんですか?」
「六時には起きて、摂ったよ」
鞄から携帯を出して確認すると、時刻は十三時を過ぎていた。