8話 二人と一匹、家の中。⑤

「俺、あなたの作り笑い、割と好きです」

「……それ、褒めてる?」

「けなしては、いません」

 素直な感想を口にするうち、ふと名案が閃いた。

「そうだ、桐本さん。これから、恋人の好ましく感じるところを、一日一回伝え合いませんか?」

「君は随分、突拍子もないことを言い出すね」

 桐本さんは瞳を広げ、まばたきを繰り返した。

「だって俺たち、今日が初対面ですよ。考え方や嗜好を知るきっかけは、必要かなあと」

「一日一回なんて、すぐネタ切れするんじゃない?」

「俺のいいところ、ゼロですか?」

「あ。いや、森君じゃなく――」

「何事も、やってみないと分かりません」

 

 彼は下がり気味の目尻を更に下げ、少しだけ笑った。

「君のポジティブなところに、俺は好感が持てそうだ」

「へへ。ありがとうございます」

 自分から提案したとはいえ、他人に褒められるのは、くすぐったい。思わずコーヒーをすすって、口の中を苦くする。

 

「連絡先、交換しませんか?」

「いいね」

 俺は近くに置いてあった鞄から、携帯を抜き取った。アプリを起ち上げる。

 QRコードを通して、桐本さんをリストに追加した。名前は、『キリ』と登録されている。

 彼は名字で呼ばれる方が嬉しいのかも、なんて想像してみた。

 

「恋人同士だと、あだ名やなんかで、声をかけあったりもしますよね」

「森君の、下の名前は?」

「陸です」

「じゃあ、陸君」

「じゃあ、きーさん」

 視線を合わせ、二人で頬を緩めた。胸が温かくなる。

「あの、きーさん。俺、恋人ができたら行ってみたかったところ、あるんです」

 目の前の顔が、ニコリとした。

「どこだろう? 遊園地? 水族館? それとも山?」

「ラブホテル」

「無理」

 きーさんは急に表情を硬くすると、前のめりになって言い捨てた。

 カップの中のコーヒーが、揺れる。

「えー」

「誘ってくれるのは嬉しいけど、君はもっと慎重になるべきだ」

「あ、いえ。セックスは正直、したくないんです。けどホテルの中がどうなってるのか、一度見てみたくて」

「つまり部屋には入るけど、お前はなにもせず我慢していろと」

「はい」

「もっと、無理!」

「えー」

「そもそも、陸君は未成年で、しかも高校生だから」

「なにか問題でも?」

「一歩間違えたら、警察署まで連行される」

「ホテルへ行かなければ、恋人でもない横内にイタズラしていいんですか?」

「……ちょっと、砂糖のおかわり、取りに行くかな」

 

 急に立ち上がったきーさんが、よろけてコタツの脚を蹴飛ばした。「わっ」と小さな声がして、マグカップは傾く。

 二人同時に、息を呑んだ。

 甘ったるい紅茶と、苦すぎるコーヒーが水たまりを作っていく。

「あーあーあーあー」

 騒がしくしていると、慌てたきーさんが布巾を持ってきた。丁寧に、拭き取っていく。幸い被害は、台の上だけだ。

 

「勿体ないこと、しましたね」

「陸君が変な話するから」

「俺のせいですか?」

「ごめん、原因は自分だ」

 あんまり素直に非を認めるものだから、笑ってしまった。

 向かいで彼も、はにかむ。

 

 なんだか、きーさんのいいところは、いくらだって見つかるような気がしてきた。