駅前の飲食店も、ショッピングセンターも、正月休みまっただ中だ。他に店らしい店もなく、桐本さんは自宅に誘ってくれた。
快諾すると「君も結構、無防備だね」と驚かれる。
誰の家にだって、上がる奴だと思われたなら心外だ。俺は横内から、桐本さんの人柄を聞いている。なので心配していなかったし、それに桐本さんが働く美容室を経営するのは、横内の父親だ。なにかしでかして、あとで困るのは彼の方だろう。
俺たちは、畑と民家ばかり続く殺風景な道を、進んでいく。
「お参りしなくて、よかったんですか?」
「特に願いごと、ないしね。君は?」
「すぐ叶うような願いと、違うので。空いてるときにまた、挨拶しに行きますよ」
くすんだ灰色のアパートが、見えてきた。桐本さんの家は三階建ての一番下、角部屋だ。
彼は鍵を差し込んで、ひねった。ぶら下がった赤い鈴が、小さく鳴る。
扉が開いた。
「どうぞ、上がって」
「お邪魔します」
一歩、足を踏み入れる。
下駄箱の上に、大きなぬいぐるみが飾ってあった。サイズは、四十センチくらいだろうか。瞳孔の開ききった、個性的な顔の黒猫だ。
「触ってみても?」
「いいよ。好きなだけ」
早速、頬を摘まんでみた。想像していたより、固い。猫は無表情のまま、虚空を見つめている。
今度は抱きしめてみた。すっぽり、腕の中に収まってしまう。不思議と気分が、安らいだ。
「可愛くないけど、可愛いですね」
「妙な愛嬌があるだろ?」
「名前は、ついてるんですか?」
「俺はシロって、勝手に呼んでる」
「へえ、シロかあ」
下駄箱の上へ戻し、耳と耳の間を撫でてみた。猫は、どうでもよさそうな態度を貫いている。
俺はスニーカーを脱ぐと、屈んで揃えた。
「洗面所を使いたければ、左へ曲がったところにあるよ」
「じゃあ、お借りします」
手を洗ってから、キッチンへ向かう。
桐本さんは、ヤカンを火にかけていた。
「コーヒーか紅茶、飲む?」
「是非、コーヒーを」
「砂糖やミルクは?」
「なしで」
ブラックコーヒーを頼んだ理由は、単純だった。相良さんが好きだからだ。
正直、俺は苦手だ。でも彼に飲めて俺が飲めないなんて、なんか悔しい。
「奥のリビングでくつろいでいると、いいよ」
「でも」
「よかったら、コタツで温まって」
「ありがとうございます!」
コタツ、の三文字は、俺の背中を押すのに充分だった。