「えーっと、桐本です。二人を止めなくても、大丈夫かな?」
姿勢を低くして、首を傾げられる。
予想通りの、名前だった。俺は頭を回転させ、彼に関する記憶を次々取り出していく。
桐本靖。二十五才。数ヶ月前、同じ美容室で働く相良さんに振られた。横内と付き合い始めたのを、最近打ち明けられたばかり。現在は仕事仲間兼、友人として、相良さんの傍にいる機会が多い。
あれ。なんか、驚くほど俺と立場が似てるな。
「放っておけば、いいんですよ」
俺は桐本さんの口調に負けないくらい、柔らかく笑んで見せた。
瞬間、目の端になにかが映る。
「危ない」
横内の、首元に巻かれたマフラーを掴むと、引っ張った。数秒前まで彼のいた場所を、自転車が勢いよく走り抜けていく。
「随分、優秀な世話係だね。周りをよく見てる」
面白げな顔で、桐本さんが笑った。
なんだか嬉しくなる。公衆の面前、高校生に振り回されている大人とは違うと、褒められたような気がした。
そっと視線を、動かしてみる。
相変わらず相良さんは、横内に噛みつかれていた。
「嘘つき! 俺が好きなんじゃ、ないのかよ」
「どうして疑うかなあ」
「拒絶するからだろ! 顔近づけたら、露骨に避けやがって」
数ヶ月前まで、ゲイなのを自認できなかった奴が、言うようになったものだ。
感心しつつ、辺りにも目を向ける。
元旦だからだろう。普段は静かな通りも、随分と賑わっている。近くには神社があって、いくつも屋台が並んでいた。どこからかソースの焼けるような、いい香りも漂ってくる。皆浮き足立っていて、同性カップルの会話を俺たち以外、誰も気にする様子はない。
「俺はお前が成人するまで、なにもしねえって決めてるんだよ」
「同じ大人なのに、桐本さんは何度も俺にしたぞ!」
「よ、横内君。誤解を招く言い方は、よそうか」
それに、立ち止まっていると邪魔になるよと、桐本さんは話をそらす。
彼の主張は、もっともだ。
誰からともなく、歩き出した。一緒にお参りする予定なんてなかったはずの、大人たちに混ざって進む。目指すは鳥居へ続く、長い列の最後尾だ。
隣にいる桐本さんへ、視線を送った。
何度もしてたって、キスを、だろうか。
いや。だけど、桐本さんが好きなのは相良さんのはずだよな。